カテゴリー別アーカイブ: 石打丸山

Blue Sky

あまりの少雪でスタートした今シーズン。当初はどうなることかと思いましたが、遅ればせながらドカ雪が降り積もってくれて、今のところ極上のゲレンデコンディションを維持してくれています。1月後半の日曜日は、2週連続して好天に恵まれて、週末スキーヤーのお客様にとっても、私のような週末の非常勤講師にとっても、かなりラッキーな条件で滑ることができました。

当校のFacebookページでも、好天のゲレンデ写真をご紹介してきましたが、Facebookをされていない方々も実は大勢いらっしゃるので、今回は気持ちのいい画像を集めて掲載します。

♫おぉぶる~すかぁ~い  ぶる~すかぁ~い  このそらの明るさよおおお……
#ふ、古っ! (^^ゞ

もう3月

気が付けばもう3月、弥生です。今季の石打、残り1か月を切っちゃいました。
今週末は、第3回スキーバッジテストや、新潟県連主催のテクニカルプライステストが開催されます。

3/6(日)の検定日は、上越・中越で最高気温19℃なんて恐ろしい予報が出てますので、いろんな意味で「春雪との闘い」になりそうです。検定バーンには大量の硫安(スノーセメント)をぶち込んで固くするでしょうし、コブ斜面はザブザブの春雪状態になるかもしれません。
気温がここまで高くなると、ただでさえ汚れているゲレンデ表面に水が浮いてしまって、スキーの滑走性は極端に悪化してしまいます。受検される方々は、固形ワックスを携帯して、いつでも塗れるようにしておくと良いかもしれませんね。
暑さ対策や日焼け対策も必要です。日焼け対策で直射日光から隠し過ぎた結果、暑さで脱水症状を起こしたりせぬよう注意してください。

あと3週、せめて春分の日の連休までは、ゲレンデの雪が消えずに残っていてくれるといいのですが…。

プロモーションの課題

今シーズンは、人の動きが読めません。
例年、2/11の祝日がらみの週末は、ゲレンデが大混雑するのですが、今年は13日の土曜日が少し混んだのみ。山頂リフトに短い列ができた程度で、いつもの土曜日とさほど変わりません。
14日の日曜日に至っては、朝からゲレンデに人がいない。平日並みのガラガラぶり。土曜日にいたお客さんはどこ行っちゃたんだろう?ってな感じです。
日曜朝からゲレンデに人がいないので、日曜夜の高速道路もガラガラでした。

・例年この週末は混雑するので避けた?
・飛び石連休だったから?
・苗場のワールドカップを見に行った?
・ワールドカップによる混雑を避けた?
・日曜日の雨が嫌われた?

いろいろ要因は思いつくのですが、どれも決め手に欠けてます。
常連さんの姿をほとんどお見かけしなかったことからしても、おそらく混雑を予想して敬遠された方々が多かったのでしょう。それに日曜日の雨が拍車をかけたということなのかなぁ。

ただ、周辺の他のスキー場は平日でも混んでるところがあったりするわけで、プロモーションに課題があるスキー場であることは確かでしょう。
コース幅が広く、様々な斜度のコースを持つ石打丸山の本来の優位性をもっとアピールできるはずなのになぁと思います。

一安心

雪不足でオープンできない石打丸山に、12月26日から出勤して開校準備をしてきましたが、26日深夜、土砂降りの雨音を聞いて、「こりゃ、年末年始、下手すりゃ正月もオープンできないかもしれないな…」と絶望的な気持ちにさせられました。
しかし、明け方に雨から雪に変わって27日は終日モリモリ降り続き、28日からスキー場オープン&当校開校にこぎつけました。年末年始のお休みにギリギリ間にあって本当に良かったです。スタッフ一同、ホッと胸を撫でおろしているところです。
今日、29日にはさらに降雪があり、ゲレンデ状況がかなり改善されました。
身の引き締まる思いで、明日からご来校のお客様をお迎えします。

DSC_0157

Tirol Tower

DSC_1085ed

日墺アルペンスキー友好75周年記念碑
1957年4月19ここにおいて、冬季オリンピック・アルペンスキー3冠王のトニー・ザイラー氏、世界スキー選手権回転競技優勝のヨセフ・リーダー氏の模範滑走が行われた。
1958年1月28日ここにおいて、アールベルグスキー学校校長ルディ・マット氏の特別講習会が開催された。
1986年3月24日ここにおいて、校長フランツ・ホピヒラー氏を初めとする、オーストリア国立スキー学校教師団の特別講習会が開催された。オーストリアが生んだこれらの巨人のシュプールは、コース名として、このスキー場に永久に残されることとなった。
1986年3月24日 新潟県日墺協会 石打丸山観光協会 株式会社日本リフトサービス

チロルゲレンデ上部にそびえ立つチロルタワーは、「日墺アルペンスキー友好75周年記念碑」という正式名称があります。山頂側にはドイツ語の銘板、反対側には上記のような日本語の銘板が付いています。今回は、このチロルタワーについてのトリビアです。

最初に、オーストリアとチロル州について予備知識から。

オーストリアと日本の地図を並べてみると、意外と小国であることに驚かされます。アルペンスキーの先駆者ハンネス・シュナイダーを生んだ「アルペンスキー発祥の地」チロル。チロル州は、オーストリア共和国を構成する9つの連邦州のひとつです。オーストリア西部に位置し、北チロルと東チロルからなります。州都は北チロルにあるインスブルックで、1964年と1976年に冬季オリンピックが開催されました。また、キッツビュールでは、1931年よりアルペンスキー・ワールドカップの中でも最も国際的に注目度の高い大会の一つであるクラシックレース「ハーネンカム大会」が開催されることで有名で、トニー・ザイラーの出身地です。
そして、アルペンスキー・ワールドカップが毎年スタートする町、セルデン。1982年(昭和57年)4月24日に石打丸山の地元・塩沢町はセルデンと姉妹都市提携し、翌1983年から駐日オーストリア大使夫妻を迎えて石打丸山スキー場でオーストリア大使杯スロラーム大会を開催。1997年(平成9年)には塩沢町合併40周年記念事業としてセルデン町より「友情の鐘」が寄贈され、石打丸山スキー場山頂に建立されました。
オーストリア・チロル地方とは、町ぐるみの長い交流の歴史があるのです。

チロルタワーの話に戻りましょう。au3
チロルタワーが建立された1986年に「75周年記念」ということは、その75年前の1911年に歴史的事件があったことになります。
もうおわかりですね。1911年(明治44年)、旧オーストリア・ハンガリー帝国のテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐が豪雪地高田の第13師団に着任し、新潟県上越市の金谷山スキー場で日本に最初にスキーを伝えたのです。

さて、チロルタワーのデザインは、チロル州の紋章が元になっています。そのルーツを辿ってみましょう。

最初がチロル州の紋章と州旗です。これがチロルタワーにデザイン化されていますが、何か足りないと思いませんか?
2番目のオーストリア共和国の紋章(国章)をご覧ください。

国旗の赤と白は、12世紀末の十字軍の遠征の際、当時のオーストリアの大公レオポルト5世の純白の軍服が敵の返り血で真っ赤に染まり、ベルトの下だけが白く残ったという故事からきています。
国章は、第一次世界大戦後からオーストリアの象徴として使用されています。かつてのオーストリア・ハンガリー帝国の国章でハプスブルク家の家紋でもあった双頭の鷲は、頭ひとつの鷲に置き換えられています。鷲の胸には、オーストリアの国旗のデザインの元となったオーストリア大公国のがあり、鷲の爪は金の鎌と金のハンマーを握っています。鷲の頭に載っている王冠は、当時のオーストリアを代表する「三つの階級」(労働者、農民、ブルジョワ)の統一を意味するものです。鷲の両足につながっている切れた鉄の鎖は、ファシズムからの解放を意味しており、第二次世界大戦後に付け加えられたものです。
(広島オーストリア協会サイトより引用)

チロルタワーのデザインは、チロル州紋章の鷲と国章の盾がアレンジされています。

(参考文献:Wikipedia、南魚沼市公式ウェブサイト)